初めにお断りしておきます。
『便所国道』という言葉を雁坂小屋の関係者が正式に使った事はありません。何時の頃からかお客様の中で使われ、またインターネットの世界で一人歩きするようになってきた言葉かと思います。
ちりん、ちり、ちりん・・・熊よけの鈴の音が近づいてきます。
お客さん今日はどちらから? と お声掛けすると
「三富からです。トイレの写真を撮らせて下さい。」
年に数人このようなお客様がおいでになります。先週もおいでになりました。そして「これかあ」とかつぶやきながらトイレの間を行ったり来たり。何枚か写真を撮ると来た道を帰っていきます。雁坂小屋滞在時間15~20分。
テント泊りのお客様の中にも「噂のトイレ」を見るのも目的の一つと言う方もおいでになります。
長い間荒れて通行不能状態だった黒岩コースが整備され、再び人が通れるようになってまだ20年も経っていません。小屋のトイレは今でこそ黒岩コースの上に設置されている形になりますが、トイレはそれよりも前から今の場所にありました。
以前は秩父から雁坂へ登るのは突出峠コースでした。川又からしばらく歩くと大正11年の石の道標があり、水の元には更に時代をさかのぼる石仏が安置されています。秩父往還と言われた昔から人々が歩いてきたこの道。昨年の10月26日の記事でご紹介した伊勢湾台風前の峠付近の地図にも突出コースに道がしるされています。
と言うわけで、1953年に二級国道140号線と指定されてから1998年に雁坂トンネルが開通するまでの「開かずの国道」は川又から突出峠を通る登山道だと思っていました。
ところが、今回改めて手元にあった昭和44年のヤマケイ、アルパインガイドの「奥秩父大菩薩連嶺」を開いて見てビックリ!!!(地図左上)
川又まで車道が来ています。そこから先は点線の登山道になっています。水の元の水マークや岩道場(最近は雁道場)へ続く道が右に。左の点線は黒岩尾根から雁坂小屋に続いています。何とここに四角に囲まれた140の文字を発見。
今のはやり言葉でいうと「てぇー!」。昔なら「じぇじぇじぇ」・・・・NHKの朝ドラの見過ぎ。
人が通る事がなくてもこちらが「開かずの国道」だったのか。と言う事はやはり『便所国道』なのか・・・・・
トイレの話題はまだ続きます。京都の新聞で見つけた記事から・・・・・・。
*雁坂の気温17℃くらいでした。